鬼啖の章(12)

8年前の秋―――京都・嵐山の屋敷。

「これ...」
嘉織から渡された包みを開けて、霞は喜びに目を輝かせた。
「誕生日プレゼント、まだ渡してなかったやろ?」
霞は嬉しそうに手元の箱に入っているツゲの櫛を見つめた。
「ありがとう、嘉織兄さん!」
嘉織は目を細めて頷いた。だが、その直後わずかに表情を曇らせた。
「霞...」
「なぁに?」
急に真剣な眼差しになった嘉織に、霞はきょとんと目を丸くした。
「...いや、なんでもない。」
「?...変な嘉織兄さん。」
ふっと笑みを漏らした嘉織につられて霞も笑みを漏らした。

15歳の嘉織と12歳の霞。
家が決めた許婚同士ではあるが、周りから見ても仲睦まじい2人だった。
霞は幼い頃から兄のように慕っていた嘉織に成長するにしたがいそれ以上の感情を抱くようになっていた。
―――霞にとって、嘉織は間違いなく初恋の相手だった。
その嘉織との将来を約束され、まだ12歳ながらも霞は自分の女としての幸せを信じて疑っていなかった。
だが、それはわずか半年後に脆くも崩れ去ることとなる。
中学を卒業すると同時に嘉織は京都樹条家を出て、単身大阪へと移り住んだ。
その真意を語ることも、謝罪や弁明すらすることなく、嘉織は突然霞との婚約も破棄した。

その後、霞は数年に渡って京都樹条家に足を踏み入れることはなかった。






―――鬼啖の章 12―――


霞はカバンの中から白い布の包みを取り出した。
そっと大切そうに布を取り払い、中にあったつげの櫛を見つめる。
忘れもしない、嘉織からの8年前の誕生日プレゼント。
捨てられずにずっと大切に仕舞っていたそれを、霞は久しぶりに手にとった。
初恋と呼べる感情はすでに霞の中では過去のものとして割り切られていた。
だからこそ、今日ここへ足を向けることが出来た。
大阪の中心部に位置する街のマンションの一室。
霞はキッチンからコーヒーカップを乗せたトレーを運んでくる嘉織の気配に櫛を仕舞いなおした。
「霞がここへ来るのは初めてやな。」
目の前にカップを差し出した嘉織に、霞は曖昧な笑みを浮かべた。
霞は短大に入ると同時に大阪へ出てきたが、それは別に嘉織を追いかけてきたというわけではなかった。
特に嘉織を避けていたわけでもなかったが、必要以上に自分から嘉織に連絡を取ることはなかったし、嘉織から個人的に霞を呼び出すということもなかった。
それでも霞にとって嘉織が兄のような存在であるということに変りはなく、以前と変らぬ信頼を寄せるようになっていた。
「それで、わざわざ僕に何の用や?」
自分専用のカップを口元に運びながら嘉織はソファーに深く座り込んだ。
「...嘉織兄さんにお願いがあります。」
「お願い?」
嘉織は微笑みながらも探るような視線を向けた。
「嘉織兄さん...京都樹条家に戻ってくれませんか?」
まっすぐ視線を反らさずにそう言う霞に、嘉織は言葉の意図を読みきれず目を細めた。
「それは、一体どういう理由で?」
「伊織にはこれ以上鬼狩人として戦って欲しくないからです。」
きっぱりとそう言い放った霞の表情からは固い決意が感じられた。
嘉織は一瞬よぎった予感を振り払うかのように、両肩をすぼめてみせた。
「伊織が京都樹条家に生まれた鬼狩人である限り、鬼との戦いはこれからも避けられへん。」
「伊織にはもうこれ以上戦うことは不可能なんです...!」
両膝の上で拳をぎゅっと握り締めた霞に、嘉織は事態が思ったよりも重大であると感じた。
「...何か、よっぽどの理由があるんやな?」
「...」
沈黙のあと、霞はこくんと頷いた。
「話して、くれるか?」
そう言う嘉織の表情は、昔よく見せてくれたものだった。
優しく包み込むような安心感を与える微笑に、霞は最後まで言うべきかどうか悩んでいた伊織の秘密を打ち明ける決心をした。


全てを語った霞は黙って嘉織の反応を待った。
信じてもらえないかもしれない。だが、霞は嘉織に信じてもらえるまで何度でも説明するつもりでいた。
霞にとって、伊織を救うための最後の頼みの存在。それが嘉織だった。
「鬼喰鬼か...難儀なもんがおるもんやな。」
長い年月鬼と戦ってきた樹条家の人間である嘉織すら知らないその存在。
だが、霞が戯れに嘘をいう人間ではないということを嘉織はよく知っていた。
「伊織は僕にとって大事な弟や。それやのに苦しんでることに気付いてやれんで...」
瞼を伏せた嘉織の顔には兄としての優しさと、弟に対する労わりの感情が滲み出ていた。
それを見て、やはり嘉織の基本的な部分は昔と少しも変っていないのだと、霞は安堵のため息をもらした。
「京都樹条家にこのことが露呈すると面倒なことになる。霞、この件に関しては僕に全部任せてくれるか?」
「...嘉織兄さん。」
自分から言っておきながら、京都樹条家を飛び出した嘉織に再び戻れというのは無茶な話だということは理解している。
嘉織にはきっと何か理由があって京都樹条家を出たはずだ。
その理由が何なのか、今になってもわからないが。
「元々僕が勝手を言って京都樹条家を出たんやけどな。実は、そろそろ戻ろうかと思ってたところなんや。」
だから、気にするな。そう言った嘉織に、霞は深く頭を下げた。
「ありがとう、嘉織兄さん。」
「ええって。それにしても、わざわざ僕の家にまで来てそんな話をするなんて、よっぽど伊織のことが大事なんやな。」
「...はい。」

外伝12挿絵.jpg

わずかに頬を赤らめながら答えた霞に、嘉織はやはり自分の予感は当たっていたのだと確信した。
それでも、言葉にして確かめずにはいられなかった。
「霞は、伊織のことが好きなんやな。」
霞は迷いなど微塵もない瞳で力強く頷いた。


霞が去ってからしばらくの間、嘉織は冷めたコーヒーの残った2つのカップを見つめていた。
傍においてあった携帯を手に取ると慣れた手つきでアドレス帳からとある番号を選択し、発信ボタンを押す。
数回のコールの後、「正木です」と短く答えた相手に嘉織は口元に薄く笑みを浮かべた。
「計画を少し早める。使えそうな駒を準備しといてくれ。」
『御意。準備が整い次第連絡を差し上げます。』
短いやり取りの後携帯を切り、嘉織は深くため息を吐いた。
待ちに待った機会が巡ってきた喜びと、知らぬ間に失っていたものの喪失感が嘉織の心の中で葛藤していた。
正直、霞が伊織に深い関心を抱いたことは嘉織には予想外だった。
何も告げず霞の前から姿を消したのは嘉織だが、それでも霞は自分のことを待っていてくれるという過信が心のどこかにあった。
一緒に過ごせる時間はわずかだったが、その間に互いに抱いた気持ちと作り上げた絆は何があっても途切れることはないと。
霞と伊織との婚約を聞かされた時も、再び自分が京都樹条家に戻れば全てが元通りになる。そう、思っていた。先程までは。
―――やるべきこと、考えることが山積していた8年前。
嘉織には霞の気持ちまで考える余裕は無かった。
だが、離れてみて初めて自分にとって霞という存在がどれほど大きかったかを痛感したのも事実だった。
京都樹条家を離れた後も、嘉織には「樹条家の人間」という重圧が変らずのしかかってきた。
自分を「京都樹条家の次期当主の鬼狩人」としてではなく従兄弟として、そして好意を寄せる1人の人間として自分を見てくれた霞の存在に幾度となく救われていたことを

、嘉織は霞と離れてみて改めて思い知った。
「8年か...霞にとっては長かったのかもしれんな。」
呟きながら、嘉織は自嘲を漏らした。





鬼啖の章13 へ続く...


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posted by 和月聖 at 2009年01月02日 03:10
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