あの日、同級生の樹条昴によって鬼狩人という存在を知らされた由貴だったが、その昴には「学校では今までどおり無関係を装え」と念を押されている。だからと言って学校以外での接触があるのかといえばそうではなく、結局のところ、彼らの関係は今までと何も変わらなかった。
「――でさぁ……って、ユキ、聞いてる?」
「えっ!?」
学校帰りに立ち寄ったカフェで亜紀の話を聞いていた由貴だったが、途中から、彼女の話は耳に入らなくなっていた。親友との他愛もないお喋り。それは今までの由貴にとって何よりも楽しい時間だったはずなのに、最近の由貴は、気が付けば別のことを考えてしまう。
「ホントさー。最近のユキって、天然に磨きが掛かったって言うか、むしろ不思議ちゃん系に進化したって言うか……」
「何それ?」
「だからぁ。何か最近は前にも増して、ぼーっとしすぎ、ってこと!」
真剣な顔で由貴の鼻先にビシっと人差し指を突きつけた亜紀は、由貴の肩越しにカフェのガラス窓の向こうを見て「あれ?」と声を上げた。
「あそこにいるの、樹条じゃない?」
まさに心に描いていた人物の名を聞いて、由貴はドキっと心臓が鳴るのを感じた。
ゆっくりと上体を捻って後ろを振り向くと、確かに、窓ガラスの向こうには樹条昴の姿があった。特に何をしているわけでもなく、由貴たちのいるカフェとは反対側の通りにある街灯に凭れるように立っている。
(あ……)
ふと、ガラス越しに目が合った。ごく自然に、由貴は笑みを浮かべる。だが、由貴の微笑みが完全な形となる前に、昴の視線が逸らされた。
ちくり、と由貴の胸が理由の分からない痛みを訴える。
「何アレ。感じワルっ」
まるで無視するかのように顔を背けた昴に、亜紀は隠そうともしない不満を口にした。
「やっぱ樹条って、どっか変わってるよね。とっつきにくいって言うかさ、何考えてるか分かんない感じ!」
「……そうだね」
数日前までの由貴なら、亜紀と同じ感想を抱いただろう。無口で、何を考えているのか全く分からないクラスメート。それでも、昴の素顔を知ってしまった由貴には、もう以前と同じように彼を見ることは出来なかった。
普通の高校生らしい屈託のない笑顔。力強く煌く意志の強そうな瞳。
(あぁ、そうか。私……)
あの日見た昴本来の姿を思い出して、由貴は何故、こんなにも自分の胸が痛むのかを理解した。
「あーあ。やっぱりオトコは年上に限るよね。あの人に比べたら、同級生なんてガキにしか見えないもん!」
どこか浮ついた声で言う亜紀に、由貴は思考を閉ざして向き直った。亜紀の話は、どうやら振り出しに戻ったようだ。
「でも、どこの誰かも分からない人なんて、好きになっちゃうものなの?」
恋愛経験の少ない由貴が、疑問をぶつける。今日の二人の話題は、亜紀が街で一目惚れした、という青年についてだった。
「だってー。見かけた瞬間“この人だ!”って思っちゃったんだもん。理屈じゃないんだよねぇ、こういうのって」
「そういうものかなぁ……」
うっとりと答える亜紀は、きっと“一目惚れの彼”を想い描いているのだろう。異性を恋愛対象として見た経験の殆どない由貴には、亜紀の“理屈じゃない感情”とやらが全く理解できなかった。
「ねぇ、アキ。誰かを好きになる、って……どんな感じ?」
高校二年生とは思えない台詞を口にした由貴に、亜紀は目を丸くする。今どき中学生でも恋愛関係に発展する男女は多いというのに、由貴の純朴さは貴重ですらある。
「うーん。そうだなぁ……」
改めて「恋とは何ぞや」と聞かれても答えに困ってしまうが、亜紀は今まさに自分が感じていることを、そのまま言葉にした。
「その人のことが気になって仕方なくって、もっともっと、その人のことが知りたくなって……“傍にいたい”とか“笑い掛けて欲しい”“話し掛けて欲しい”とか思っちゃう感じ、かな?」
言ってから恥ずかしげに視線を伏せた亜紀は気付かなかったが、亜紀の答えを聞いた由貴の表情が僅かに曇った。
もし、亜紀の言うような感情が恋なのだとしたら、自分は――。
「まさかユキ、好きな人できたの!?」
由貴から恋愛に関する直接的な質問が飛び出したのが始めてだということに気付いた亜紀が、一瞬遅れて食いついた。
「ち、違うっ!」
慌てて否定をしてみたものの、由貴の心臓はバクバクと音を立てていた。そんな由貴に亜紀は疑わしそうな目を向けていたが、やがて小さく息を付いた。
「まぁ、好きな人がいたら“誰かを好きになるってどんな感じ?”なーんて聞かないか」
「そ、そうでしょっ? 亜紀が、あんまり嬉しそうに彼のことを話すから、羨ましいなって思っただけだよ」
「羨ましいって言われても、まだ付き合ってる訳じゃないしさー」
「……告白、しないの?」
再び疑問を口にした由貴に、亜紀はギクリと硬直する。
「随分と簡単に言ってくれるじゃない」
「だって、好きなんでしょ?」
恐るべし、天然。
即座に亜紀がそう思ったとしても、誰も彼女を責めはしないだろう。
「ユキには負けるわー。でも確かにそうなのよね。告白しなきゃ、始まらないのよ!」
「…………?」
きょとん、となった由貴の前で、何故か急にやる気になった亜紀は小さく拳を固めた。
「やってやるわ! 告白するわよー!」
無駄にテンションの上がった亜紀に、由貴は唖然となる。だが、親友を励ますことができたのだと知り「それなら、まぁ良いか」と思った由貴だった。
それから学校での話など他愛もないお喋りを楽しんだ後、バイトがあると言う亜紀とカフェを出た所で別れた由貴は、ひとり駅までの道を歩き出した。
夕暮れの街を行く人々は皆一様に足早で、その流れに取り残されないように由貴の足も自然と速まる。歩くことに集中していた由貴だが、そのとき急にトントンと肩を叩かれて、飛び上がるほど驚いた勢いのまま振り返った。
見れば、そこにはオーバーリアクションとも言える由貴の反応に驚いたように、軽く両手を挙げた少年が立っていた。表情の変化は少ないものの、珍しい灰色の瞳は僅かに見開かれている。
「あ……」
必要以上に大きな反応を示してしまったことに気付いた由貴が小さく声を洩らすと、少年は挙げた手をブレザーのポケットに移しながら、小首を傾げて見せた。
「驚かせてすみませんね。オレのこと、覚えてます?」
「あ、はい……」
忘れようとしても忘れ難い自身の容姿に自覚がないのか、そんなことを聞いた少年は、数日前に出逢った樹条透耶だった。
「それは良かった」
抑揚のない声で言った透耶の言葉は、本心というよりも相槌に近いと由貴は思った。
「じゃあ自己紹介は省くとして、ちょっと付き合ってもらえますか?」
「えっ?」
突然の透耶の申し出に、今度こそ由貴は戸惑った。自分より遥か高い所にある感情の浮かばない瞳に見下ろされて、由貴は思わず目を逸らしてしまう。
昴の従兄弟であるという彼は、鬼との戦いの最中、由貴を守ってくれた。だから決して悪い人ではないと思うのだが、どうしても透耶を前にすると緊張してしまう。由貴が透耶と会うのは、まだ二度目だ。人見知りの激しい由貴が緊張するのは無理もないことだったが、それだけではない、何となく苦手意識のようなものがあった。
まるで怯えたような態度を取った由貴に、透耶は苦笑する。
「まだオレが怖いんですか?」
心を見透かしたような一言に、由貴は頬を赤くした。
それを見た透耶は、苦笑を失笑に変える。本当に素直な少女だ。数日前に見せた不思議な芯の強さからは想像も付かないほど、思ったとおりの反応を示す由貴が正直、面白かった。
「大丈夫ですよ。取って食ったりしませんから」
柔らかさの滲んだ声音に安心したのか、ようやく由貴は顔を上げた。そして灰色の瞳が穏やかに揺れているのを見て、再び頬を赤らめる。
「あの、私……」
「この後、予定がある?」
言い澱んだ由貴に勘違いをした透耶が先回りして問うと、由貴は「そういうわけじゃ……」と小さな声で否定した。
普段、学校と家の往復の他は亜紀とカフェに寄り道をするくらいしか予定のない由貴は、それを恥じるように俯いてしまう。恥じるどころか由貴の素行は健全そのものなのだが、やはり同年代の少女たちと比べると、由貴の行動範囲は狭い。それが由貴にはコンプレックスでもあった。
「じゃあ、少し付き合ってもらえませんか?」
最初の問いに戻った透耶だが、そのとき、ちょっとした悪戯心が湧いた。
「スバルが、あなたに会いたいって」
「えぇっ!?」
素っ頓狂に裏返った由貴の声に、透耶は内心で「おや?」と思った。
急に落ち着きなく彷徨わせ始めた視線。無意識で髪に手をやる仕草。
この反応は、まさかとは思うが――。
だが、その考えは敢えて言葉にはしなかった。代わりに、由貴の反応を問いへの肯定と捉えて、透耶はおもむろにポケットから携帯電話を取り出した。
「今から彼女、連れてくから。じゃ」
一方的に告げて、透耶は通話を終えると、再び由貴に向き直る。
「行きましょうか」
強引とも言える透耶の誘いに、由貴は何が何だか分からないまま、それでも結局は大人しく着いて行くことになったのだった。
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To Be Continued...

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